亡霊になりがちな とあるジャニオタのこれまで








初めまして。もえと申します!




...なんて自己紹介は需要がないと思うのですっ飛ばして、







いきなりなんですけど 皆さんには

今はアイドル辞めちゃったけど忘れられない人

今はもうないけど大好きだったグループ

ってありますか???








私はあります!!!!!(大声)








しかも私はタチの悪いオタクの部類で、そういった人やグループに対して引きずってしまう傾向があります。それもまあずるずると。










私はそういうオタクを「亡霊」と呼んでいます。









じゃあ、これを書いている私は一体何の亡霊なのか。
なぜ急にこれを書こうと思い立ったのか。
話していこうと思うので、どうかお付き合いください。



※先に言っておきます。バチくそに長いです。









○亡霊の正体

私は現在、ジャニーズWESTと関西ジャニーズJr.のオタクをしています。
いつ頃からかな?多分2013年か2014年からだったと思う。
それまでは嵐さんが大好きで「一生着いていく!」「5人がいるから頑張れる!」と子どもながらに思っていた。
そうしたらね、嵐見たさに買った雑誌をパラパラ...ってめくってたら、ビビって来た人がいたんです。
それは、




平野紫耀 くん。





どんな誌面だったっけ…。記憶が曖昧なんだけど、お兄ちゃん2人の間でふにゃんって笑ってる紫耀くんがいたの。お鍋を囲んで。P誌だっけ?

今まで嵐しか見てこなかった私にとって、衝撃的で新鮮で、世界が広がったような そんな感覚になったのを今でも覚えている。

そこからまあ見事にのめり込んで行く訳ですよ。
片足を踏み入れたら戻ってこられないと巷で噂の「関西ジャニーズJr.の沼」へ。
今でこそ、花のち晴れでキンプリ大旋風を巻き起こしてメディアに引っ張りだこの紫耀くんだけど、学生の遠征組からしたら以前は年に一度のin大阪とかまいジャニでの映像でしか見れないもんだからもどかしかったよ。




で、そんな紫耀くんが所属していたグループ
Kin Kan」と「なにわ皇子」の6人。
通称「なにきん」

はい。

これこそが亡霊の正体(その1)なのです。




私は当時中学生だったから、なにきんの6人でデビューするって信じて疑わなかった。
しかも嵐という地位を確立してる方々から降りてきたので、そもそもJrのシステムとか暗黙の了解とか、その他もろもろ初めてのことばかりで何も分からないまま応援してた。





でもいつからかな。
いつからか壊れていった。

まだ中学生の私でも分かるくらい、
それはもう分かりやすく。





雲行きが怪しくなった って気づいた頃にはもう遅かった。
事はどんどん進んで行って、どんなに泣いても喚いても6人同じステージに経つことは叶わなくなった。
悔しかった。
大好きで大切だったからこそ、そんな簡単には忘れられなかった。

東京に行った2人と、
新たな道へ進むことを決断した1人と、
残された3人。

その現実を突きつけられたとき、もう「なにきん」という言葉を発してはいけないのだと悟った。1人湯船に浸かって泣いた。




私は「なにきんの亡霊」になった。











と言っても、「亡霊その1」は最近6人違う場所でめきめき成長している姿を見て、いつの間にか自然と成仏できたのですが。
長々と話したクセに成仏しちゃってる方の亡霊でごめんなさい。







とまあ、ここまでは4、5年も月日が経つらしくそこまで重要視する話でもない。









厄介なのは「亡霊その2」だ。



いまだに成仏できていない。できない。
仲間の亡霊は多くいると勝手に思い込んでいる。




このはてなブログを書こうと思ったのも、いい加減気持ちの整理をしてケジメをつけたかったからだ。
全部吐露したかった。
顔も名前も知らない、同じ気持ちを抱いている人に。







関西ジャニーズJr.が好きな人なら知っているだろう。








Funky8







ああもう文字だけで泣けてくる(白目)

私と同じように亡霊となってしまった人は多いと思う。

だって、伝説だったから。
非公式ながらにお仕事持ってきちゃったりさ、雑誌のアンケートで1位取っちゃったりさ。

魅力しかないグループだった。
トークもテンポよくて、歌もダンスもこなして、笑いに貪欲で。
本当に見てて飽きなかったし、次はどんな景色を見せてくれるのかなってワクワクしてた。

そりゃ、悔しいこともいっぱいあったよ。
後輩の方がポスターに大きく載ってるし列も前だし。何故かまいジャニにも呼んでもらえない時もあったし。松竹座では どうしても出番が少なかったり、8人揃うことはなかなかなかったり。








でもね、それ以上にたくさん夢を見せてくれたんだ。








末澤くん以外の7人でのラジオ。

反響大きかったね。収集つかなかったね。あの場で正式に(?)Funky8って呼ぶことが決まって、メンバーカラーも決まって。丈くんの「寝盗られ宗介」のお仕事の宣伝を皆で喜んで。30分が5秒に感じるくらいあっという間だったよね。
……それは言い過ぎ?
でもそれくらい楽しくて仕方なかった。






今リチャのマラソン

これFunky史に残る出来事だと思ってる。横断幕作ってる人もいて、真鳥くんがそれについてブログで触れてくれて。「あ、いよいよFunky8見つかるな」って本気で思えた。今江くんなんかジャニーズ新記録出しちゃって。応援に来てたメンバーもいて。
何故か真鳥くんと古謝くんはプライベートっていう形で来てたけど。これについては解せないけど。それについては未だによく分からないけど。
あの日はTwitterが賑わったなあ…(遠い目)






なうぇすとのHair。

これは公演によって違うから主観で申し訳ないんだけど。
ま!!!じ!!!で!!!
かっこよかったんだよ!!!!!!!
8人やっぱ強えよ。しかもさ、8人だけがステージの真ん中で歌って踊ってるじゃん?もうそんなの単独コンの妄想しないわけないじゃん?しろって言ってるようなもんじゃん?
あ、この人たちについて行きたい。夢を一緒に見たい。って本気で思えた。





Funky8って非公式グループだったから、余計ファンがアンケート回答とか番組への意見とかすすんでやってたような気がするな。

みんなで公式グループにしてあげたかった。
こっちは準備できてた。
あとは事務所が「はい、今日から公式ね」って言ってくれるのを待つだけだった。








でも、そんな日は来なかった。








いつまで経っても来なくて、
次第にまた雲行きが怪しくなった。

「まただ」って思った。

いつしか経験したあの辛さが蘇ってきた。






なにがダメだったんだろう。
なにが足りなかったんだろう。






考えても分からないけど、とにかくバラバラになるのだけは嫌だった。8人が好きで、8人の空気感でわちゃわちゃしててほしくて。






幻なんかで終わらせたくなかったのに。






「8」という数字は、次第に「4と4」へ、
「3と5へ」、そして「2と6」へ変わっていき、


いつからか、丈くんと大橋くんがジリジリと前の列へと着実に歩き始めていた。





「3列目の逆襲」




これは丈くんの言葉だ。
その言葉通り、2人は3列目から2列目、2列目から1列目と位置を前へ前へと築いて行った。


2人はfunky8という単語をほとんど出さなかったし、仲はいいにしろ8という数字にこだわる人たちじゃなかったから、余計に「いよいよだな」と直感で思わせられた。







そして、
2018年10月6日。








今江くんとリチャくんのマラソンの日とは違う賑わいがTwitterにはあった。
………いや、賑わい半分 荒れ地半分だった。








なにわ男子 結成






関西にグループができた。
それは凄いことだし、嬉しいことだ。
しかも4年ぶりで、メンバーも推されている人をかき集めたような構成だった。
顔よし、アイドル性よし、将来性よし。
無知ながらに事務所の本気を感じた。








でもそれは、
Funky8の事実上の解散を表すものだった。









8人の時はあんなに頑張っても公式にすらなれなかったのに、ちょっと大人が話し合えばすぐグループなんてできちゃうんだね。あっけない終わり方だな。









事務所には憤りすら感じた。
あんなに実力も人気もあるグループなのに。2018年のあけおめコンのうちわも即売り切れたのに。まああれはもともと用意されてた数が少なかったからかもしれないけど。でももっと多くても絶対売り切れてたよ。
事務所は8人を見くびりすぎだった。









8人には………8人には、そうだな、ただただ「無力なファンでごめんね」って思った。
もっとしてあげられることあったかもしれない。もっともっとお金出し惜しみしなかったら何か変わったかもしれない。
なんて、今更言っても変わらないけど。












8人が最強で最高だったからこそ、受け止めたくなかった。
申し訳ないけど、6人に対して出番の多くなる丈橋が羨ましくて妬んだりもした。
本当に悪いことなんて何一つしてないのに。
なにわ男子は何も悪くないのに、グループ結成を祝福されないことにも心が傷んだ。
















でも、そんな私たちファンの思いとは裏腹に8人は前を向いていたんだ。















雑誌などで度々見かけた、丈くんや大橋くんの「なにわ男子がラストチャンス」「このグループでデビューしたい」という思い。

その言葉を見た瞬間、8人にとって「Funky8」というものがついに「過去」になってしまったんだなと感じちゃったのも本音だけど。

それと、大橋くんの「安堵の方が大きかった」って言葉、すごくグサッときたな。

あれだけ夢を語っていても、みんな内心は不安でいっぱいだったんだなって。それでも笑顔を見せて幸せを届けてくれてたんだって、改めて気づくことができた。















それから2019年になった。
関西ジャニーズJrは本当にたくさんの出来事があったね。

2019年のあけおめコンのオーラスをもって、関ジュを引っ張ってくれていた康二くんがSnow Manに、龍太くんが関ジュを卒業して俳優の道に。
次に「Lilかんさい」が結成されて、「Aぇ!group」が結成された。
春松竹の千穐楽で淳弥が涙して、真鳥くんがブログで卒業を告げた。














表舞台から去った人がいる以上は、大好きなFunky8が戻ってくることは永遠にない。
可能性をかけられるほどのパーセンテージもない。
もはや0.00001%もない。















だから、Funky8にさよならを告げざるを得なかった。





淳弥が最後に立ったステージで、真鳥くん以外の7人で横並びになったこと。

その事実が、Funky8がいた証で。

そのレポを見ただけで涙が出てきたよ。

本当に、横並びが好きだったんだよな。
ファンも彼らも。

それを淳弥の最後の舞台でやるんだよ?

あーもう。
ずるいなあ。

グループはバラバラになっても、活躍する場所が別々になっても、8人の関係性は変わらない。

そう教えてくれるようだった。

最後までFunky8らしいね。
悲しいのに嬉しくて、辛いのに誇らしくて、わけわかんなかったよ(笑)










私にとっては伝説のグループで、
ずっとTwitterYouTubeに張り付くほど夢中になれたグループで、
一緒にデビューを掴み取りたいと思えたグループで、
もっと大きな景色を見に行きたいと思えたグループで、
今でも忘れられない大好きなグループ。










それはこれからも絶対に変わらない。
変わらないし、忘れない。












大橋和也くん。

朝田淳弥くん。

林真鳥くん。

古謝那伊留くん。

草間リチャード敬太くん。

末澤誠也くん。

今江大地くん。

藤原丈一郎くん。











素敵な夢を見させてくれてありがとう。

やっぱり亡霊その2は成仏できそうにないや。
もうちょっとだけ、引きずらせてね。








8人が 8人の場所で花を咲かせるまで。